近江屋洋菓子店の歴史

歴史 歴史 歴史歴史歴史歴史歴史歴史  

 当家先祖は元より桑名ので出であった。御一新成ると同時に姓を吉田とした。同家における平三郎と名のる三男坊、彼こそが今日につながる当近江屋の直接たどりえるご先祖様の確かなところであります。吉田 菊太郎
 明治17年(1884年)、平三郎は一種青雲の志を抱いて上京、、本郷は竜岡門に腰を落ち着けた。妻方の在地が彦根であった事もあり、近江屋と号し、かんばんを揚げた。古来よりつつましやかにして商人の鑑とされる近江商人にいくらかでもあやからんとした為の命名と推測されます。


 平三郎は最初炭屋を始めましたが、夏場の商いは成り立たず、思案の末、これからはパン屋が良いだろうと決意します。いずれかの製造元より卸の製品を仕入れて販売を始めたようである。
 客待ちにして売れずと見るや、天秤棒を肩に品物を担いでは「パン、パン、アメリカのパン」と声を上げて売り歩いた由、伝えられている。そして、ほどなく自店にて製造すべく準備を整え本腰を入れるようになっていった。パンのみならず、当時流行っていたカリン糖やドラ焼きなども並べ、原料のさとうの販売などでも行っていたそうです。吉田 菊太郎

 明治28年、18歳に成長した二代目菊太郎は海外雄飛を試みる。(日本郵船が明治26年外国航路の運行を始めている)
 サンフランシスコに到着、日本人として馬鹿にされてはならじと口髭をたくわえ、山高帽をかぶり、ステッキを手に勇躍彼の地に降りたった。
 まさしく銀幕で喝采を浴びるチャップリンのいで立ちである。更にアメリカは物騒と聞いてか、着くや直ちにピストルを買い入れ身の安全を図っている。また、当時日本では革靴はたいへん高価にして貴重品であったが故に、すぐに磨り減ってはたまらぬと底に金属の鋲をたっぷりと打ってきたのが災いし、坂の多いサンフランシスコの街では、そこかしこでツルツルすべって歩けず、相当の難儀をしたという。そして、前述の如く、山高帽にステッキ姿の背の低い彼を見て、アメリカ人達は不躾に指を指しては、モンキーとあざ笑ったそうである。その時は流石に恥ずかしく悔しい思いをした由、後年家族に語っている。

歴史歴史


 外国人でも即戦力として雇ってくれる線路工夫やレストランなどの皿洗いに職を求めていった。そして、サンフランシスコよりほぼ真北にあるワシントン州シアトルのタコマという街に行き着き、とあるミルクホールに職を得た。そこで、メリケン粉にバターを混ぜてこしらえるカステラパンのようなケーキを教わり、都合3年の在米生活を終えて故国に向かった。
 後年、折りにつけ子供達に在米中のことを語っていたというが、ある時なまいき盛りになった子供達が「おっ、また親父の鳶の巣文珠山が始まった」とからかったところ、ムッときたのか、以来そのことに関しては口を閉ざしてしまった。従って武勇伝、珍事、苦労話の類はまだあっただろう在米中のことは残念ながら伝わってこない。教会
 

 マスターライン帰国後、菊太郎は近江屋に入る。いわゆる洋行帰りということになる彼は、そのかけられる期待に十二分に応え、両親と共に懸命に働いた。親子合作によるものか、ぶどうを入れたロックケーキと名付けたものなど手がけていた。そして、太平洋戦争では菊太郎の三男で三代目を継ぐことになる増蔵が先の226事件に他意なく名を連ねる事になってしまい、明らかに故意と見られる北支戦線に配属され辛酸をなめている。
 終戦直前(昭和20年初夏)菊太郎が脳溢血にて他界。終戦後、傍若無人に振る舞う進駐軍MPを相手に三代目の兄平次郎がつたない英語で対応しつつ近江屋も懸命に苦境を乗り切らんとする。砂糖、小麦粉など統制物資のなか、進駐軍の払い下げ食料を元にありあわせの材料を加えてともあれ口にできる食品を考案して販売した。
 

トラック そうこうしているところ、昭和22年やっと増蔵復員。その頃より店ではパンより洋菓子にウェイトを置くようになっていく。近江屋麺麭店から近江屋洋菓子店へと衣替えをしていったわけである。そして、現在の神田にある建物を昭和41年に建て替え、1F店舗、2F工場、4,5Fを住まいにしている。その後昭和49年本郷店を1F店舗、2F工場の7階建てビルに建て替える。オイルショックに見舞われながらの時代であった。

 昭和53年増蔵62歳にて他界。長男太郎が4代目として継ぐ。贅沢品ではない洋菓子、リーズナブルだけれど、チープではない品物をめざして、現在に到る。

2012年6月6日 近江屋洋菓子店の歴史

近江屋洋菓子店の歴史

町会で持ち寄った写真です。これは近江屋の神田の喫茶室です。当時としては貴重なテレビと大きなクーラーがはいっていました。
力道山のプロレス(テレビ)中継の時はいっぱいになりました。

近江屋洋菓子店の歴史

大正時代から昭和のはじめ頃、近江屋の二代目菊太郎と店の前のウィンドウです。

近江屋洋菓子店の歴史

昭和35年ごろかも、、、 トヨペットで配達していた。

近江屋洋菓子店の歴史

これも同じ時期。トヨペットとともに三輪自動車です。(近江屋洋菓子店の名前が入っている)
手前の石畳は都電の線路です。

近江屋洋菓子店の歴史

近江屋二代目夫婦です。アメリカに渡ってケーキのようなものを覚えてきた。

近江屋洋菓子店の歴史

近江屋洋菓子店の歴史

大正時代のケーキです。バタークリーム

近江屋洋菓子店の歴史

近所のぼたんさん(鳥なべやさん)

近江屋洋菓子店の歴史

伊勢源さん あんこう鍋

近江屋洋菓子店の歴史

志のだ寿司さんです。アメ車に店の名前を入れています。スゴイ、、

営業のご案内

  • (株)近江屋洋菓子店
  • 神田店
  • 〒101-0063 東京都千代田区神田淡路町2-4
  • Tel.03-3251-1088 Fax 03-3251-5815
  • 本郷店
  • 〒113-0033 東京都文京区本郷4-1-7
  • Tel.03-3815-3007
  • 年中無休
  • 営業時間
  • 月〜土 9時〜19時
  • 日祭日 10時〜17時30分(喫茶は17時まで)
  • 年末年始の休業・営業時間はお問い合わせ下さい